ブランドコンセプト
奥越前勝山でしか、生み出すことのできないもの。
それは、「みずみずしい、辛口」「ふわりと消える、極酒」。
世界でたった一つだけの、特別な口中感を求めて。
奥越前勝山
福井県の北東、霊峰白山の懐に抱かれた、奥越前勝山。
特別豪雪地に指定される盆地にして、
酒造家の間では、酒米「五百万石」の全国有数の生産地として知られている。
かつてこの地は、日本最大規模の宗教都市として栄えた。
1300年以上の昔、修験者泰澄により白山信仰の拠点「平泉寺」が開かれ、
戦国時代の最盛期には、48社36堂6千坊・僧兵8千人を数えたという。
江戸元禄以降は、武家礼法を伝える家系のひとつ、
小笠原貞信公が美濃より転封し、以後、明治まで8代にわたって勝山の地を治めた。
そんな文人大名であった小笠原家が御用酒として、
代々愛育した酒銘が「一本義」である。
一本義は、禅語「第一義諦」からの出典で、
最高の真理・優れた悟りの智慧を極めた境地を意味する。
一本義の酒造り
一本義は、勝山屈指の素封家であった笠松家よりその酒銘を譲り受け、
久保家5代目当主の仁吉が、明治35年(1902)に創業。
福井の酒らしく“味のり”を大切にしながらも、“キレの良い辛口酒”が評価を得て、
昭和初期には県内酒造元として最大石高を製造するに至った。
1960年代からは、南部流酒造り※(南部藩下で生まれた酒造り技法)を骨格とし、
キレの良い辛口を昇華させる、香味のきれいさの追求を始めた。
しかし、その酒造り流儀を進めるには、大きな壁が立ちはだかった。
それは、南部流が育った“乾いた寒さ”とは異なる、奥越前の湿潤厳冬。
そして、この環境の違いこそが、一本義の個性を創造するきっかけとなる。
南部流に学んだ一本義杜氏の、4代60年にわたる
湿潤厳冬における酒造り研鑽と、技術承継。
奥越前風土と南部流酒造りの融合は、南部流が得意とする淡麗なきれいさを超え、
一本義独自の「透明感とやわらかな香味のまとまり」を醸成したのだ。
※南部流酒造り
東北の太平洋側が発祥の南部流酒造り。乾燥した寒冷地における低温環境での醗酵と、軟水による酒仕込みを基本技術とし、味わいのボリューム追求ではなく、「淡麗なきれいさ」を信条として発展してきた。南部杜氏集団の歴史は350年に及び、新潟・丹波とあわせた日本三大杜氏集団の筆頭に数えられる。
ここでしか生まれえない、
新たな口中感。
白山山系、法恩寺山から流れ伝う地下水。
風土固有の酒米品種、越の雫とさかほまれ。
特別豪雪地に指定される雪国盆地の、湿潤厳冬。
酒は、その風土によって生まれ、
地の食と共に育つもの。
酒こそが、土地の恵みから創造される滋味の最たるものであるならば、
ここ奥越前でしか、生み出すことのできない酒を醸したい。
創業120年の節目、ここでしか生まれえない口中感を求めて、
一本義は奥越前固有の酒米のもとで、リブランドを果たした。
みずみずしい、辛口。
ふわりと消える、極酒。
世界のどこでもなく、
ココデシカ、
ウマレエナイ、モノ。
一本義。